さてさて今回は、エミリオ・プッチ(Emilio Pucci)のブランドヒストリーです。

 

 

ご存知でしょうか?エミリオ・プッチ(Emilio Pucci)

出典 http://blog-imgs-16.fc2.com/

フィレンツェの侯爵家に誕生し、1934年~1935年にかけ、なんとスキーナショナルチームに所属していたというスポーツマンで、自分でのデザインしたスキーウェアを着用していたちょっと粋なエピソードも持っています。

・大学卒業後、アメリカジョージア州アセンズの大学で就学。

・1937年にオレゴン州ポートランドリード・カレッジで社会学を学ぶ。

・1939年イタリア帰国。

・フィレンツェの大学で1941年、政治学で博士号を取得。

第二次世界大戦中はイタリア空軍でパイロットを経験し、その後、政治家になりイタリア議会にも10年間という長期にわたり在籍していました。

 

そして1947年、高校時代のスキーウェアが雑誌「ハーパース・バザー」に掲載される。

このこと事が思わぬ反応を生み人気がでてしまいます。

その後同誌から女性用の冬服デザインを依頼され、ニューヨークで売り出され、ひょんな事からスポーツウエアのデザイナーとして評価されることになります。

先の細いパンツ、カプリパンツ、ショーツ、リゾートドレス、鮮明なプリント柄と大胆な図柄、色を使った通称「プッチ柄」が特徴的で、マリリン・モンロー、エリザベス・テーラー、ジャクリーヌ・ケネディ等、アメリカを中心に各国のセレブに受け入れられ、衣服、カーペットなどを次々と製作します。

 

・1964年には米国のブラニフ航空の客室乗務員のユニフォームをデザイン。

・1971年アポロ15号使節団のロゴなどを制作する。

・デザインを手掛ける傍ら、政治家としても活動を継続していた。

・1980年代に入り、アメリカの高級車「リンカーン・タウンカー」や「コンチネンタル」の特別仕様の内外装を任されます。

 

・1990年に、CFDA (The Council of Fashion Designers of America)に表彰される。1992年に惜しまれながら死去。

エミリオの死後、ブランドのデザインは娘のラウドミア・プッチ (Laudomia Pucci)が受け持つ。

1997年ミラノの会社に経営権を譲渡されることとなり、2000年、LVモエ・ヘネシーグループの傘下へ。

2001年秋冬からジュリオ・エスパーダがアーティスティック・ディレクターが就任。

2003年春夏より、クリスチャン・ラクロワがアーティスティック・ディレクターを務める。

 

現在ラウドミア・プッチはイメージ・ディレクターを務め、2006年秋冬シーズンからはイギリス人のマシュー・ウィリアムソンがクリエイティブ・ディレクターに就任している。

2004年秋冬からスキーウェアコレクションを、ロシニョールとの提携により再開。

 

※どうですか?話を聞くほかのブランドと比較するとちょっと異色の経歴を持つエミリオ・プッチ(Emilio Pucci)!! 少し興味がわきませんか?